2014年02月
うめ(梅)
ウメ(梅)
別名:風待草 春告草 匂草 風待ち
英名:Japanese apricot
梅と雪と万葉
学名 (プルヌム・ムメ)
バラ科 落葉小低木 産地:中国江南地方 花期:1~3月 高さ:2~10m 果期:6月
花言葉 清らかな美しさ、忠実、独立 高潔
誕生花 日
由来 梅の字音(メ)が変化した説。愛目(うめ)が転じた説。熟実(うめむ)が転じた説。
風待草 春告草 春風を待って咲くことからいう。
葉の出る前に咲く。前年にのびた枝を切ると、残った部分に短い枝が出て花が咲く。
葉は楕円形で先が鋭くとがり縁には2重に鋸歯がある。
樹皮は黒く、硬くて割れ目がある。
枝は細長くてよく伸びる。果実は球形で6月頃熟す。
種として変異性が強く、花の形、雄しべ、雌しべ、実の大きさ 多彩に変化している。数百品種。
鑑賞用として公園、庭園に植えられるが、果樹としても栽培される。
水戸の偕楽園は徳川斉昭が藩主となって飢饉に備えて植えさせたのが始まり。
200種7000~10000株あったといいます。(今は約3000本)
実は梅酒に、梅干と保存食品となるため好んで植えられた。
梅は、花を鑑賞する「花梅」と果樹として栽培される「実梅」があります。
野梅系・豊後系・紅梅系・杏系がありますが、それぞれに早咲き、遅咲き、香りや色の違いなど色いろある。
梅は花中の儒者
好文木(こうぶんぼく):晋の武帝が学問に励んでいたときは梅の花が開き、怠っていたときは散りしおれていた、という故事からきている。天神様もこのことをご存知だった?
梅といえば「天神様」。菅原道真を学門の神様として祭っているのは、梅の花を好んだ道真と「好文木」の伝説が結びついたのかもしれません。
日本への渡来は飛鳥時代に遣隋使が「薬」として持ち帰ったのが始まりといわれる。
そのご、奈良時代の遣唐使や僧侶によって梅の木がもたらされたといいます。
明治期には日本でも新しい品種が作られた。
奈良の貴族は白梅がお好み
我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも 大伴旅人
梅の花 咲きたる苑の 青柳を かづらにしつつ 遊び暮らさな 巻5 土氏百村
春の野に霧立ち渡り降る雪と人の見るまで梅の花散る 田氏真上(でんじのまかみ) 巻5 839
平安の貴族は紅梅がお好み
「木の花は、濃きも、薄きも、紅梅 」 『枕草子』 清少納言
「梅は、白き、薄紅梅。一重なるがとく咲きたるも、重なりたる紅梅の匂ひめでたきも、みなをかし。」 『徒然草』 吉田兼好
菅原道真と飛び梅伝説。
季語 【冬】寒梅、早梅、冬の梅 【春】梅、紅梅、梅の香 【夏】梅若葉、梅青葉、梅の実、青梅、梅売り、梅酒、梅干、梅干す 【秋】梅紅葉
余寒なお厳しい頃、開く梅の花。端正な花の姿、柔らかな香、梅の花は早春のシンボルとして愛されてきました。
梅は咲いたか、サクまだかいな
梅一輪 一輪ほどの あたたかさ
しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり 蕪村
雪明りやがて紅梅明かりかな 原田南海子
うれしきは葉隠れの梅一つかな 杜国
サクラに主役の座を明け渡したが根強い人気を保ち、江戸時代には多くの品種が生まれた。花色、形など数百の品種がある
江戸時代の医師シーホ゛ルトは(mune)としてヨーロッパに紹介した。
伝説1 飛梅伝説
平安前期の学者で政治家でもあった右大臣の菅原道真は宇田天皇の信頼を得たが、政敵の藤原時平の讒言によって九州大宰府へ流され59歳で死んだ。
道真はことのほかウメを愛していた。
屋敷には都でも屈指の梅園を持ち、中にひときわ美しい紅梅があった。
道真は大宰府に旅立つ時、梅を惜しんで「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 あるじなしとては春な忘れそ」と詠んだ。
この梅の一枝が彼を慕って空を飛んでいき、大宰府の住まいの庭に根を下ろした。
(京の道真の邸宅は「紅梅殿」と名づけられえていた。
月の輝くは晴たる雪の如し 梅花は照る星に似たり ・・・道真11歳のときの漢詩より)
伝説2 鶯宿梅
平安中期の村上天皇が、「どこかによい梅の木はないか」とおたずねになりました。
すると紀貫之の庭によいものがありますと答えるものがいたです。
天皇は勅使をつかわしされ、その梅の木は御殿の庭に移されたのでございます。
みごとな紅梅でありました。
その枝に1枚の短冊が結ばれており、「勅なればいともかしこし鶯の 宿はと問わばいかが答えん」と書かれているではございませんか。天皇は、筆跡もうるわしいこの歌の意味をくみとり、梅の木を紀貫之にお返しになったのでございます。
歌は紀貫之の娘、紀の内侍で、父に似て才媛のはまれが高かった。
この物語は「鶯宿梅」として今に伝わる。
ふくじゅそう(福寿草)
ふくじゅそう(福寿草)
別名:元日草、歳旦華(さいたんげ)、報春花(ほうしゅんか)、朔日草(ついたちそう)
英名:Amur adonis
・キンポウゲ科 アドニス属 多年草 草丈:10~15cm 花期:2~3月 原産地:日本
誕生花 1月1日、1月12日
由来 旧暦の正月の頃咲くことから元日草と呼ばれた。
冬の終わり頃地下からの根茎から短い茎を伸ばす。茎は鞘で覆われている。
葉に先立って黄金色の椀状の花を咲かせる。
日が当ると開き、陰ると閉じる。
花後、細かく切れ目の入った葉が出てくる。
山野に自生する。
正月に松竹梅や南天などと寄せ植えされた盆栽は凛としてとして格調が高い。
本当の開花期は春ですが、江戸時代の初期に正月用とし栽培されたという。
3代将軍家光の時代の書物には記載がある。(『毛吹草』福寿草、元日草)
(『花壇網目』朔日草)(『花壇地錦抄』福寿草、元日草、ふくづく(福付草))
19世紀後半には紅、白、緑、八重咲きなど120以上の種類が作られた。
アセボトキシンなどを含む有毒植物。
季語 冬・新年
日のあたる窓の障子や福寿草 永井荷風
福寿草 家族のごとくかたまれり 福田蓼汀
福寿草に日の当たり居り言うことなし 中村汀女
関連ページ
福寿草の伝説のページヘ 芽蕾のページ 雪の日の福寿草ページ
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はまひさかき(浜姫榊)
花の歳時記一輪生け
シクラメン(篝火花)
シクラメン
別名 篝火花(かがりびばは)、ぶたのまんじゅう
誕生花 (赤)12月10日
由来 ギリシャ語の「キクロス」からで、螺旋系の、という意味。花後に茎が曲がるから。
英名は、かつてこの根をブタの餌にしたことにちなむそうです。
和名の「かがり火花」は花びらの形からついた。この花を見ていた女性の会話をヒントに牧野富太郎博士が命名したといわれている
英名からもじって「豚の饅頭」とよばれていました。パンはなじみでありませんでしたからね。
葉に斑入り種もある。
大輪種からミニまで大きさはいろいろ。
花色は白、ピンク、赤など。
明治初期1890年頃に渡来。
冬の贈答用に鉢植えで出回る。
近年栽培技術がすすんで秋から鉢物が出回っている。
古代ギリシャ・ローマ時代には薬草として、脱毛やしもやけの治療に用いられたそうです。
季語 春
シクラメン花のうれひを葉にわかち 久保田万太郎
シクラメンうたうごとくに並びをり 西村和子
恋文は短きがよしシクラメン 成瀬櫻桃子
ありがとうございます
枝垂れ梅
冬牡丹(寒牡丹)
冬牡丹・寒牡丹
ふゆぼたん・かんぼたん
上野東照宮牡丹苑 入り口
厳冬に花を咲かせて鑑賞する牡丹。
八重咲きの淡い紅色の花が多い
霜よけの藁囲いがかわいい
ボタン科 パエオニア属 落葉低木 樹高:50cm 花期:冬 花径:15~20㎝ 原産:中国北西部
ボタンの変種。冬に咲かせるためには夏咲きの花芽を摘除するそうです。
牡丹雪 大きな雪片が牡丹の花びらのように降る雪。
季語 冬
一つ散りて 後に花なし冬牡丹 正岡子規
そのあたりほのとぬくしや寒ぼたん 高浜虚子
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ありがとうございます
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【伝説1】
霧が立ち込める北の国にクノウという名の美しい姫神が住んでおりました。
父神が姫の結婚相手に選んだのは、地中奥深くに屋敷を持つ 金持ちのモグラの神でございます。
結婚の儀式のあと花嫁の姿が見えません。
クノウ姫は荒野の雑草の中に 身をひそめたのでございます。
モグラの神は激怒し、彼女が天に帰ることをけっして許しませんでした。
クノウは野に生える草となり 太陽が昇ると花を開き故郷の天を仰いだのでございます。
人々はこの花をクノウノンと呼びました。 (アイヌの伝説)
【伝説2】
低い天上を支配する神の娘は、その美しさに神々は、さまざまの約束をして歓心をかおうと躍起になった。大騒動の怒るのを心配した父神は、娘を地上におろした。
それがこの花になった。アイヌ語ではチライ・アパッポと呼ばれた。 (アイヌの伝説)
【伝説3】
イノシシに殺されたアドニスの血と女神アフロディテの涙が混ざりこの花が咲いた。
(ギリシャ神話) *これは赤い花の秋咲き福寿草のこと。バラ説もあります。