2015年11月
(646)DVD国宝・建造物編
(645)アマテラス3
(641)DVD吹上御所
読書散歩 №641
DVD 皇居 吹上御苑 四季
皇居・吹上御苑は、江戸時代初期には徳川御三家の屋敷などが建てられていましが、
明暦の大火(1657年)を機に、庭園として整備・管理されるようになりました。
私は、吹上御所のとなり、東御苑にときどき散策にいきます。
特に雑木林がお気に入りです。
その後、庭園としてさまざまな変遷を経て、一時期はゴルフ場になり、昭和天皇は
ゴルフを楽しまれたそうです。時代が大きく変わろうとしていた昭和12年以降は
「できるだけ自然のままに」という昭和天皇のお考えに沿って庭園的な管理は中止されました。
今は鬱蒼とした巨木が生い茂り、多様な動植物が生息、生育する豊かな森へと変貌した。
そんな吹上の森の四季折々の吹上御苑の映像です。
何もしなければ、草花が生え、やがて木が生え森になり
鳥や昆虫など羽のある動物が集まってきている
それも、数十年で
未来、人間がいなくなったら
武蔵野は見渡す限り草原だったけど
東京は、豊かな大きな森になるんだろうなぁ
DVD 皇居 吹上御苑 四季
皇居・吹上御苑は、江戸時代初期には徳川御三家の屋敷などが建てられていましが、
明暦の大火(1657年)を機に、庭園として整備・管理されるようになりました。
私は、吹上御所のとなり、東御苑にときどき散策にいきます。
特に雑木林がお気に入りです。
その後、庭園としてさまざまな変遷を経て、一時期はゴルフ場になり、昭和天皇は
ゴルフを楽しまれたそうです。時代が大きく変わろうとしていた昭和12年以降は
「できるだけ自然のままに」という昭和天皇のお考えに沿って庭園的な管理は中止されました。
今は鬱蒼とした巨木が生い茂り、多様な動植物が生息、生育する豊かな森へと変貌した。
そんな吹上の森の四季折々の吹上御苑の映像です。
何もしなければ、草花が生え、やがて木が生え森になり
鳥や昆虫など羽のある動物が集まってきている
それも、数十年で
未来、人間がいなくなったら
武蔵野は見渡す限り草原だったけど
東京は、豊かな大きな森になるんだろうなぁ
(639)ダイナソー・アース2
楠 実を見つけました
くすのき(楠・樟)
英名 カンファツリー)
学名Cinnamomum camphora
クスノキ科ニッケイ属 常緑高木 高さ:10~50m 花期:初夏 結実期:秋 原産:日本、朝鮮半島
花言葉
誕生花
由来 クスノキの漢名は樟による。でも中国で楠は別の木のことなんですって。
樹皮には細かい割れ目が多い。
4~5月新葉が出ると古葉は落ちて交替する。
葉は互生。特有の香がある。
花は新葉のわきから円錐花序につく、色はクリーム色。
実は球形で秋に黒色の熟します。径8~9mm。
長寿で巨木になる。神社の御神木、天然記念物に指定されているものも多い。
木目が美しく加工しやすい上に腐りにくいので、昔から神社や船を作る重要な木でした。
虫食いから衣類を守るため箪笥なども作られた。樟脳は防虫剤としていまでも使われています。
(英名カンファーツリー。カンフル剤は樟脳を生成して作る。)
季語
福山雅治 『クスノキ』
長崎・山王神社のクスノキは原爆生き残りの木として知られています。
【伝説】
仁徳天皇の時代、明石の駒手の御井(こまでのみい)という井戸のそばに、大きな大きなクスノキが生えていました。
朝日がさすとその陰は淡路島を覆い、夕日がさすと本土が大きく陰るほどでした。
あるときこの木を切って船をつくると、まるで飛ぶように速く、ひと漕ぎすれば7つの波を越えてどんどん走りました。そこで船の名を「速鳥」とつけました。
この船を使って朝夕に駒手の御井の水を届け、天皇のお食事に出していましたが、ある日遅れて間に合いませんでした。
そこで「住ノ江の大倉向きて 飛わばこそ速鳥といわめ 何が速鳥」という歌を作り、この行事をやめにしました。
(播磨風土記)
クスノキ科ニッケイ属 常緑高木 高さ:10~50m 花期:初夏 結実期:秋 原産:日本、朝鮮半島
花言葉
誕生花
由来 クスノキの漢名は樟による。でも中国で楠は別の木のことなんですって。
樹皮には細かい割れ目が多い。
4~5月新葉が出ると古葉は落ちて交替する。
葉は互生。特有の香がある。
花は新葉のわきから円錐花序につく、色はクリーム色。
実は球形で秋に黒色の熟します。径8~9mm。
長寿で巨木になる。神社の御神木、天然記念物に指定されているものも多い。
木目が美しく加工しやすい上に腐りにくいので、昔から神社や船を作る重要な木でした。
虫食いから衣類を守るため箪笥なども作られた。樟脳は防虫剤としていまでも使われています。
(英名カンファーツリー。カンフル剤は樟脳を生成して作る。)
季語
福山雅治 『クスノキ』
長崎・山王神社のクスノキは原爆生き残りの木として知られています。
【伝説】
仁徳天皇の時代、明石の駒手の御井(こまでのみい)という井戸のそばに、大きな大きなクスノキが生えていました。
朝日がさすとその陰は淡路島を覆い、夕日がさすと本土が大きく陰るほどでした。
あるときこの木を切って船をつくると、まるで飛ぶように速く、ひと漕ぎすれば7つの波を越えてどんどん走りました。そこで船の名を「速鳥」とつけました。
この船を使って朝夕に駒手の御井の水を届け、天皇のお食事に出していましたが、ある日遅れて間に合いませんでした。
そこで「住ノ江の大倉向きて 飛わばこそ速鳥といわめ 何が速鳥」という歌を作り、この行事をやめにしました。
(播磨風土記)